ラッセルのパラドクス―世界を読み換える哲学 (岩波新書 新赤版 (975))
三浦 俊彦
今こそラッセルを
バートランド・ラッセルについては、「タイプ理論の提唱者」「『哲学入門』の著者」「アインシュタインとともに核兵器廃絶を訴えた哲学者」などの断片的なイメージしか持ち合わせていなかった(「ウィトゲンシュタインの『論理哲学論考』を誤読した」といういささか失礼なイメージさえ根強かった)が、本書によっておぼろげながらラッセルの統一像を知ることができた。 ラッセルは若き哲学徒だった頃に染まったヘーゲル的一元論を振り捨てた後、独自の分析哲学を洗練させていった。本書は、悪循環原理からタイプ理論、記述理論へ至る壮大なラッセル哲学の内容と、彼の哲学的立場の微妙な変遷(実際にラッセルは変遷の多い哲学者と言われているらしい)を明快に解説している。 とはいえラッセル自身に言わせれば、「自分の哲学は……たった一度しか変わっていない。ヘーゲル主義を振り捨てたときだけだ」。ラッセルの最終的な、そして彼が生涯にわたって貫いた哲学的立場は、著者によれば「経験論的実在論」ということになる。 そして、ラッセル哲学からは以下のような形而上学的帰結が引き出される。 「あなたのような心――他ならぬその記憶と性格と履歴を持つ心(人格)は、この世に必ず存在せざるをえなかった。ましてや一般的に人間のような知的生命は、偶然に生まれたのではなく、必然的に生じなければならなかった、ということになろう」(p.201) 「中性一元論では、私たちの誕生を説明するのに、物理的な多宇宙は必要ない。一個の宇宙さえあれば、その中にありとあらゆる物理法則、心理法則、意識形態が論理的構成物として自ずと内在せざるをえないからだ。あなたや私のような意識が実在するのは、円周率やルート2が実在するのと全く同様なのである」(p.203) 世界や「私」は必然的に存在する! 「知的生命が誕生したのは幸運な偶然だ」といった、ある意味では穏当な常識に反するこの結論は、驚異的であると同時に感動的ですらあった。 また、著者の言うとおり「心脳問題」など現代的な議論について考える際にも、ラッセル哲学の理解は一助となろう。 ただ、これほど豊富な内容を持つ本であるにもかかわらず、なぜ「ラッセルのパラドクス」を解説したかのように受け取られかねないタイトルがつけられているのかだけが疑問。実際、そのような本だと思って手に取った。いい意味で期待を裏切られたが。無論、「ラッセルのパラドクス」こそがラッセル哲学の核心であるとか象徴であるとか、あるいは出発点であるとか言うならば問題はないが、評者の理解はそこまで及んでいない。
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郊外の社会学―現代を生きる形 (ちくま新書)
若林 幹夫
忘れゆく場所の神話と構造
必ずしも実証的な社会学の本ではないが、明晰でありながら詩的な語り口で「郊外」なるものの輪郭をつかませてくれる一冊。 いや、本当は輪郭のとらえどころのなさこそが著者の訴える「郊外」のあり方なのかもしれない。 都心部に通勤・通学する人々の居住地として形成され、「分厚い膨らみ」を持つに至った郊外は、虚構のような趣を持つ住宅が軒をつらね、遠近を問わずそこにあったはずの生活の記憶を忘れ去っていく。けれどそこにはたしかにそのつど住まう人々の生のリズムがある。伝統的なコミュニティとは切り離された近代的で文化的な生活が求められる場所でありながら、昔ながらの「地域の生活」も求められる。また一口に「郊外」と言っても、1960年代の高度経済成長期に始まった第一次郊外化によってできた郊外と、それが一段落ついた後、1980年代から始まった第二次郊外化によってできた郊外との間には、無視しえない差もある。さらに近年新しく開発されている郊外にはまた別の意味合いも読み取れる……。 著者はこのように、郊外のさまざまな「両義性」「多層性」を掘り起こしていく。それは、郊外の虚構性や、それと結びついた(犯罪につながるという)危険性を一面的にあげつらう議論を批判的に乗り越える試みでもあるだろう。 「郊外という場所は、そこに人が住み、生きることが“たまたまの偶然”として現れてくるような場所であり、そのような“たまたまの場所”が連なり広がって、分厚い膨らみとなった場所である。そして今、その郊外という分厚い膨らみはその遇有性、その共異体=共移体としての移ろいやすさゆえに、そのなかに積み重なり、隣接するさまざまな層を集合的記憶のなかに定着させることなしに忘れ去り、その分厚い広がりのなかに住む人びとや地域は互いに交わす視線も持たぬままに、収縮する未来を迎えようとしているかのようだ。…… …… かつてそこにあったものも、そこで起こり、生きられたことも、“忘れゆく場所”であること。互いに互いを見ない場所や人びとの集まりや連なりであること。そこに郊外という場所と社会を限界づけるものがあると同時に、人びとをそこに引き寄せ、固有の神話と現実を紡ぎ出させてきた原動力もある。そんな忘却の歴史と希薄さの地理のなかにある神話と現実を生きることが、郊外を生きるということなのだ」(p.219~221) 気鋭の都市社会学者として知られる著者にとって、これが初めての郊外論の本だというのは、少し意外な気もした。
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趣都の誕生 萌える都市アキハバラ
森川 嘉一郎
秋葉原について考えるためには欠かせない一冊
この本の主題は、秋葉原を題材に、「趣味」が街の風景を変える力を持つという新しい都市形成の力学を明らかにすることである。「趣都」とは、アニメ絵の美少女が街の至るところを彩る秋葉原を指す、著者の造語。 「趣味が都市を変える」ということの特異性や新しさについては納得できたが、その力学については掘り下げて考える余地があると感じた。 「家電の街」から「パソコンの街」へ、そして「オタクの街」へ、という秋葉原の変遷を知れたのは興味深い。しかし、秋葉原にオタク的な人格が偏在しているというのは良いとしても、その偏りの理由として挙げている「オタク趣味の構造」については、畢竟、「パソコン好きなヤツは美少女も好きでしょう」といった域を出ていないように思えた。それならばまだ、かつて「東京」や「家電」に仮託されていた「未来」のイメージが喪失したという要因の方が説得力がある。ただし、オタク趣味がどうやって「未来」の喪失を埋め合わせるのか、判然としないが……。 とはいえ、「趣味が都市を変える」という著者の主張は、その後のオタク論・都市論に少なからぬ影響を与えていることは事実だ。たとえば、著者の言う「(オタク)趣味」を「感受性」という言葉に置き換えた上で秋葉原の変貌を論じたものに、内田隆三「都市の現在、都市の曲率」(現代社会研究会編『未明からの思考』所収)がある。森川が秋葉原に集まるオタク的人格と渋谷を行き交う「おしゃれな」人々を対比的に捉えているのに対し、内田はむしろオタクの欲望と快適な生活を求める人々の欲望に深い同一性を見て取っている。両者を読み比べ、秋葉原という街の特異性がどこにあるのかを考えてみるのも面白いかもしれない。
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近代・組織・資本主義―日本と西欧における近代の地平
佐藤 俊樹
色あせない社会学の新しいスタンダード
本書は、近代社会のダイナミクス(力学/運動)を実証的に解明する研究書です。その社会自身が持つ人間や社会に関する「一次モデル」を記述・分析する理解社会学的アプローチを用いて、西欧(イギリス・フランス・ドイツ・イタリア・アメリカ合衆国)および日本における近代社会の形成を追跡するという方法をとっています。 著者は、西欧近代が生み出した、社会内部の諸制度をたえず破壊・更新していくという無限のダイナミクスこそが(現にある)近代のダイナミクスであるといいます。また、近世期に作り上げてきた社会の一次モデルとこのダイナミクスがぶつかることで誕生した日本近代は、西欧近代に追いつこうとしつつそれを相対化しようとする固有の力学を持った、と主張します。さらに、現在の日本社会では日本近代を形成してきた社会の一次モデルが崩壊しつつあると著者は分析します。そして、21世紀の近代社会は、自身を拡張していくべき外部を失い、自らの成り立たせている一次モデル(たとえば無限の欲望と自由意思を持つ〈個人〉 )に疑問符をつけながら、けれどもその内部にとどまることを選択するというあやうさを持つ社会になるだろうと展望しています。 論点は、 ①プロテスタンティズムの禁欲倫理と近代組織の関係性 ②最初の近代社会としてのピューリタン社会=株式会社 ③19世紀型近代の社会論理とダイナミクス ④日本近世におけるホッブズ問題の「解決」 ⑤日本近代における「自由」と「秩序」の社会工学 ⑥戦前と戦後の連続と不連続 ⑦「超近代」としての21世紀型近代 このように集約できそうです。(これは章立てではないのであしからず) ①はウェーバー「プロ倫」の批判的検討として必読でしょう。 ②の「近代社会は会社としてつくりだされた」という主張は本書のとりわけユニークな主張であると思います。 ③は近代社会の根底的な前提(自由な個人など)の機能と、近代社会の現実的な作動(植民地主義など)をよく説明しており、④⑤⑥で言われる日本近代の根底的な意味論的形式および社会工学と、たしかに対照的をなしていると見受けられます。⑤⑥において分析されている日本社会の意味論的形式はさまざまな形で応用できるのではないかと思います。 ただし、⑥現在の日本社会の分析における著者の記述は、それが一次モデル上で観察されている出来事なのか、著者自身が感じ取っている変化なのかを明晰に区別しえておらず、それまでと比べて客観的な根拠が希薄に思えます。 ⑦の議論は論理が高度で僕には具体的なイメージがわきづらかった。 この一冊を読み込むことで社会学の考え方や理論的達成がかなり感じ取れる気がします。方法論的にも内容的にも、いまだ色あせない社会学の新しいスタンダードであると思います。
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ウィトゲンシュタインはこう考えた―哲学的思考の全軌跡1912‐1951 (講談社現代新書)
鬼界 彰夫
入門書と言われているが、準学術書
文献学的アプローチも取り入れつつ、ウィトゲンシュタインの哲学的思考を跡づける試み。 「生と言語の問題がウィトゲンシュタインの生涯の思考を貫いている」という命題を丁寧に論じている。 参考文献表がついているとよかった。
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